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執筆者の写真tamiko hirata

ウェディングプランナーになった想い


2003年にフリーランスになり21年になります


最初から『よーし!ウェディングプランナーになるぞ!』といったスタートではありませんでした。私は高校3年の時には『警察官』を目指して勉強していました。

しかし、公務員試験にことごとく落ちまくり進路指導の先生に泣きつき、五峯閣(現:KKR)の面接枠に滑り込み採用となりました。

学生時代は部活に明け暮れバイトもしたことがなかったので初めての職場は毎日が楽しく見るものすべてが新鮮でした。








紆余曲折ありながら30歳を過ぎてブライダル業界へ飛び込み、ドレスショップで働くことに。。ここで出会った花嫁様とは今でも交流があります。年賀状に双子の王子達の成長が書かれていてほんとに嬉しいし、メディアに出た際も家族のように喜んでくれる大切な存在。双子の王子達は私の事を『みんこちゃん』と呼んでくれる










そのすべては現場でお客様から学ばせていただいたことばかり。何が正しくて何が正しくないかなんてわからず、『人としてどうしてあげたいか』がいつも自分の中心にあった














結婚した後の新郎新婦の幸せを願うと身を挺して話すことも・・・。様々な現場を経験して、お客様の大切なスタートを預かる覚悟と責任も芯になっていった
















こうして2003年にあることをきっかけにサラリーマンプランナーでの活動ではお客様に関われることの限界を感じてフリーの道を選択。フリーになってからも苦悩や困難は山のように出迎えてくれた。ある1組のカップルの事件が結婚式1日をプロデュースする【点】から、その先のふたりの人生が幸せに満ち溢れることを願いプロデュースする【線】へとシフトしていった。

今では線の始まりの出会いのサポートもさせていただいていている。時には結婚後の夫婦問題のご相談も受けています。







結婚式の現場をいろんな角度から経験を積ませていただきました。ありがたいことに信頼できるプロフェッショナルのチームにも恵まれました。コロナ禍でブライダル業界も大きくかわり、自由なスタイルでのウェディングを選べるようにもなりましたね。まだまだ25年30年と仲間たちと同じ景

色を見ていきたいと思っています。

結婚が決まったら私とお話してみませんか?








#熊本フリーウェディングプランナー

#家族婚

#和婚

#小さな結婚式


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